「もし、家族で一緒に行けるのならいいかもね。」
そんな会話を家族と交わす日が来るとは、少し前のコム兄には想像もできませんでした。
一時は暗礁に乗り上げ
諦めざるを得ないと思っていた目標、
公邸料理人。
「制度変更」という思いもよらない追い風によって新しい道が開かれ
チャンスが巡ってきたと知った瞬間、私の心は再び目標に向かって動き出しました。
今回の記事では、コム兄が再び公邸料理人にエントリーするに至っ経緯を紹介していこうと思います。
そうそう、皆さん待望のコム兄の夢シリーズの続編です(待ってない)
過去の記事を振り返って読んでいただく事で
より感情移入してコム兄の事が分かっていただけると思いますので
暇な時で結構ですので読んでみて下さいね。
まずはザックリと過去の振り返りから紹介していこうと思います。
早速行ってみましょう。
ちぇけら。
これまでの経緯
コム兄と公邸料理人
「公邸料理人」という言葉に初めて出会ったのは、
駆け出しの料理人の頃の事ですからだいぶ前の事です。
料理雑誌でふと目にする募集広告。
読んでみると、国を代表する立場で料理をつくる……
いやぁカッコいいなぁ、
と思いつつ
「それよりもミシュランの星付きのレストランで働きたい」
と片付けてしまっていたんです。
不思議なもので同じ広告でも心の持ちようひとつで全然違って見えるんですよね。
以前は「自分には縁のない世界」と思っていたのに、
ある時ふと目にしたその文字が急にまっすぐ胸に飛び込んできました。
「あ、今なら挑戦できるかもしれない」
――そう思わせてくれたのは、これまで積み重ねてきた経験や出会いが
少しずつ自分を変えてくれていたからだと思います。
クロアチア
思い立ったが吉日。
エントリーするまでに時間はかかりませんでした。
すると、思いのほか早くリアクションがあり
クロアチアでのポストを紹介していただけることに。
クロアチアといえばアドリア海に面した美しい街並みが有名で
オレンジ色の屋根のおうちが並ぶ風景は魔女の宅急便の舞台を彷彿とさせます。
「まさかこんなに早く現実味を帯びるなんて」
――そう思うと同時に、胸の奥が熱くなるのを感じました。
けれどいざ現実に向き合うと、
家族の生活や子どもの教育など考えなければならないことが山ほどありました。
何度も家族で話し合いを重ねた末、結果としてそのお話を断念することにしたのです。
悔しさもありましたが、不思議と「これで終わりではない」という気持ちが残りました。
今となっては、むしろあの経験があったからこそ「次こそは」と思える強い原動力になったのだと思います。
新たな挑戦・コム兄kitchen
クロアチアの挑戦を断念したことで、心にぽっかり穴が空いたような感覚がありました。
けれど同時に、
自分にはまだやれることがある
挑戦の形はひとつじゃない
という思いも強くなっていきました。
だって公邸料理人は、夢を叶えるための“ゴール”じゃなくて、
あくまでその途中にあるひとつの節目(マイルストーン)でしかありませんから。
そこで新たに立ち上げたのが コム兄kitchen。

公邸料理人という道に挑む気持ちは胸に残しつつ、
今この場所でできる表現や学びを積み重ねたい
――そんな思いから始まった挑戦でした。
説明会の知らせ
コム兄kitchenを立ち上げ、新しい形で夢に向かって歩みを進めていた頃。
ある日ふと目に飛び込んできたのが公邸料理人制度の説明会の案内でした。

その案内には報酬や手当が改善されることは案内にも記されていましたが、
コム兄にとってハードルになっているのはお金ではなく家族の生活の事。
だから説明を聞いてもあんまり意味ないだろうなー
と少し距離を置いていたんです。
心のどこかで、もう縁のないものだと半ばあきらめていたのかもしれません。
変更のなかみ

ところが、6月9日に行われた説明会で耳にしたのは、
待遇だけではなく制度自体が大きく改善されているという話。
それは、自分が思い描いていた夢が決して遠ざかったわけではなく
むしろ手を伸ばせば届くのかもしれない
――そう感じさせてくれるものでした。

旧制度では料理人は大使公邸内の小さな部屋に住むのが基本で、単身赴任が当たり前。
正直、家族を連れて行くことは難しい環境でした。
ところが新制度では、公邸以外に賃貸を借りられるようになり、
さらに上限付きとはいえ家賃補助まで出る。
いけない理由がなくなったんじゃないか
――そう思った瞬間、心の奥にもう一度強い熱が戻ってきたのです。
追い風が吹くのを感じました。
家族会議
妻にどう伝えるべきか・・・。
めちゃくちゃ悩みました。
テンション上がりすぎて温度差が出来てしまうのはかなり痛い。
アレルギー反応を起こしてしまっては最悪。
地雷も踏まないように細心の注意。
この潮目を逃したら二度と行けないかもしれない。
落ち着け。
Don’t be emotional.
冷静に、出来得る限り冷静に。
考え抜いた結果、行きたい気持ちは微塵も見せずに情報だけを冷静に伝えました(出てたかもw)
「実際に待遇が変わったと言っても募集公館に行きたい拠点がなければ意味がない。」
「日本人学校がある拠点じゃないと厳しいんじゃないか。」
など、
むしろ懸念されるだろう問題点を自分から提案したりして。
コム兄一人での赴任でしたらアフリカやアジアの発展途上の国々でも得られるものは少なくないと思いますが
家族で行くとなるとそうは言ってられません。
衛生観念や治安、教育の充実も重要な要素になってきます。
本当は何処でもいいからとりあえず行きたいっていう気持ちをおさえて
「募集公館が発表された時点で希望するところが無かったらパスしたらいいかなと思っている。」
という事も伝えました。
家族会議の結論としては継続審議をすることで一致。
「募集公館の発表がでてそれから本格的に検討するでも良いんじゃない?」
という方針に決まりました。
冷静に伝える作戦が良かったのかな。
なんとか細いながらも確かな希望の糸をつなぎとめることができました。
傍から見れば小さな一歩ですが、確実に風向きが変わり始めたように思えました。
心の中でガッツポーズしたのは言うまでもありません。
募集公館公表
そして迎えた募集公館の発表。
休憩時間には居てもたってもいられなくて天理教本部の神殿へ参拝に行くなどしました。
専用サイトのページを何度更新したか分かりません。
リストが公開されると、50を超える拠点の名前が並んでいました。
どこにあるのか分からない都市や、
聞いたこともない都市まで沢山ありました。
そんあ数ある候補の中で、ストラスブール、ハンブルク、パースがコム兄の目に留まりました。
いずれもワイン産地に近い土地――
シンプルに行きたいと思いました。
今の時代、その気になれば本やネットから情報や知識を得ることはできます。
でも現地の食材に触れ、現地の人々と食卓を囲み、その土地ならではのペアリングを体験することには到底敵いません。
それはきっと、料理人としてもソムリエとしても、そして人間としても私を成長させてくれる。
でも、そんなの家族からしたら知らんがなって話です。
そもそもきちんと生活が成り立つのかという不安を払拭しなければいけない。
近年の円安や物価高は本当に甚だしい。
制度設計の時点で家族同伴が可能にするといっても、
まさかこんな大家族で行こうとしているなんて思ってもいないだろうしね。
そもそも少子化の時代に4人子供がいるという時点で規格外w
日本人学校の学費やスクールバス代、公館に近いエリアの賃貸情報など調べまくって表を作るなどして必死でプレゼンしました。
その熱量が伝わったのか、なんとかエントリーシートを送る方向で話がまとまりました。
そう話がまとまった翌日から子供たちもデュオリンゴでフランス語を勉強するようになり、
コム兄家では日本語なまりのフランス語風味な言語が飛び交っています。
まだ行けると決まったわけではありません。
それでも、まるで運命に導かれるような感覚がありました。

最後に
いかがでしたでしょうか。
こうして、制度変更という追い風を受けて、私は再び公邸料理人への道に挑戦することを決めました。
もちろん、まだエントリーしたばかり。
第一関門は書類審査。
大家族というのが響くような気がしていますが、それで落ちるくらいならこっちから願い下げでございます。
結果がどうなるかはまだ分かりません。
だからこそ応援してください。
そして、もし受からなかったらその時は一緒に笑ってください。
目標や夢は一度閉ざされても、また必ず形を変えてやってきます(知らんけど)
悲観する必要なんてありません(と言い聞かせる)
どんな結果であっても、また楽しくワインを飲みながら、次の挑戦の話をしましょう。
という事で気になる続報は9月後半予定ですので気長に待っていてください。
ではまたっっ!!!
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