コム兄の夢について 挑戦と封印編

コム兄の生い立ち

みなさんこんにちは。

金木犀の香りが漂うようになってきました。

空気が澄んできたのも手伝って深呼吸が増えますね。

金木犀の香りを嗅ぐと天理に来てから初めて嗅いだ16歳の頃を思い出します。

そのころのコム兄に興味がある方はこちらから。

今年は10月に入っても暑い日が続いていたせいかテレビでは「秋バテに気を付けて」なんて言ってたり言ってなかったり。

深呼吸して美味しいもの食べて元気出していきましょうね。

さて、早いものでコム兄の夢について紹介するシリーズも第4弾。

夢というよりはかなりコム兄の若かりし頃の過ごし方が多くて申し訳ないんですが

前回の記事では寮生活の様子や結婚などプライベートな内容が中心でした。

読んでいない方はこちらからどうぞ。

今回はちゃんとコム兄の料理人の部分にスポットを当てて紹介していきたいと思います。

料理人としてのキャリアを諦めたコム兄ですが結婚や子供の誕生などで変化はあったのでしょうか。

それともないのでしょうか。

どっちなんだい!

ということで早速行ってみたいと思います。

ちぇけら。

コム兄的子育て

料理人としてのコム兄にスポットを当てると言っておきながら

いきなり裏切る形になってごめんなさい。

突然ですが結婚をすると生活のリズムって変わりますよね。(唐突過ぎw)

独身時代、寮で集団生活をしていたとは言え部屋に入ってしまえば簡単に自分の時間を自分の思ったように使えます。

子供が生まれると尚更変わります。

作り出そうとしなくても自分の時間で溢れていた独身時代とは違って

自分一人の時間なんてトイレに行ってる時くらいです(人に依ります)

コム兄の家では基本的に母乳で育てていましたので

授乳以外の出来る事は積極的にやらせてもらっていたので余計かもしれませんね。

おむつの交換だって当然だし仕事の時だって昼休みになったら帰宅して沐浴させたり

夜泣きしたら落ち着くまで一生抱っこして部屋を徘徊したり階段を上り下りしたり。

普通にお風呂に入れるようになってからも基本的にはお風呂担当大臣はコム兄でした。

入浴でリラックスしたのか湯舟の中で抱っこしながら浸かっている時にウンチを放出されたという事も数知れず。。。

それでも全然怒る気になれないくらい我が子は可愛くて。

むしろ爆笑です。

とは言え、一人目の時は時間の使い方というかペース配分が分からなくてしんどくなってしまう事もありました。

”みんな経験していることだし”

とか

”こんなことで助けてほしいなんて情けなくて言えない”

とか

”こんな小さな子供に怒ってしまうなんて自分は親に向いていないんじゃないか”

なんて思いながら過ごした夜も数知れず。

幼児虐待のニュースとかをテレビで見ても理解はできなくても何となく共感できちゃったり。

ホント不安ですよね。

親の偉大さも再認識したし、ガチで世の中のお父さんお母さんを尊敬。

もし今子育て中の方で不安な人は自分一人で抱え込まないで周りの人の助けを求めてくださいね。

コム兄で良ければいつでも話の聞き役になりますからね(本当に聞くしかできないと思いますが)

30歳を目前に

「子曰く、三十にして立つ。四十にして迷わず。」

なんて言葉があります。(あったよね?)

がコム兄は30歳を目前にしても全く精神的に自立もしていなければ

独立できるような技量も持ち合わせていませんでした。

結婚をして、子供が生まれて、順調に2人目も産まれてきてくれて。

自分の時間こそ皆無になったけど、それでも家族の中心には我が子の笑顔があって。

一緒に食卓を囲み、一緒にお風呂に入って、川の字で寝て、夜泣きしたら徘徊して寝かせて。

出かける時もいつも一緒。

毎日が充実し、いわゆる幸せな生活。

コム兄にはもったいないくらいです。

でも、

このままでいいんだろうか。

という葛藤がありました。

この子達はきっと大人になったら素敵な旦那様のもとへ嫁いでいくんだろう。

その日まで沢山の思い出を作りたいなと思うと同時に

この子達が大きくなった時に友達に自慢したくなるお父さんになりたいな。

そう思ったコム兄は専門学校の時に抱いた”いつかは自分のお店を”という夢に向かうべく

新たなステージに挑戦してみようと決意しました。

もう一度料理の世界で頑張ってみようと扉をたたいたのはミシュランの星を獲得した経験を持つフレンチレストラン。

そう、それは今から8年前の事でした。(令和6年現在)

年度末の3月31日までこれまでの調理場で仕事をし、翌日4月1日から新しい職場に向かいました。

家族のさらなる幸せを信じて。

happiness for the family(言いたいだけw)

コム兄の挑戦 職場での様子

当時長女が4歳で次女が3歳でした。

出勤するのは子供たちはまだ寝ていて、空気がひんやりと冷たい時間。

電車に乗って通勤していました。

家から最寄り駅まではチャリンコで行ってたんですが初日は荷物が多くて大変でした。

包丁ケース、コックコート、厨房靴やお弁当(賄い無かった・・・)

リュックに入るものの方が少ないのよね。

指定された時間より少し早く着いたんですが、厨房へ行ってみると既に皆さん忙しそうに仕事をしていました。

調度お花見シーズンという事もあり、営業前に急ピッチで特製のお弁当を仕上げている様子でした。

弁当が終わり営業が始まる前に言われたのが

「魚部門のシェフやってね」

でした。

マジか!と思いましたがやるしかありません。

毎月メニューが変わりますし、コースのグレードに合わせて魚種を変え、尚且つ揃えておかなければいけません。

楽しいけどこれまでやったこと無かったからとても大変でした。

まずはこれまで担当されていた方から助言を頂きつつ、自分なりに調べたり魚屋さんに相談したり。

ランチの営業が終わって1時間ほど休憩して夜の営業の仕込み。

部門シェフと言っても下についてくれる助手もいませんから実質一人で回す感じで。

コム兄が要領悪くて仕事が出来なかっただけなんですがいつも時間に追われていました。

それだけではなくオーナーが近くの敷地で野菜を育てていて(そこそこ広いのよこれが)

その収穫にもいかなければいけません。

自家菜園で採れた野菜を使う事で付加価値を出し原価を抑えるためだったと思うのですが

その収穫に行かなければいけないことで時間が削られていきました。

収穫に行けずに野菜が大きくなりすぎて使えない状態になっていると怒られるし、

収穫にばっかり行ってると仕込み時間が足りないし。

植えたんやったら自分で採りに行けやなんて入社したてだから文句言えないし。

そんなこんなで常に時間に追われる毎日でした。

電車に乗ってる時間もいつも季節の魚やソースの事を調べたり。

もう少し自分の引き出しを持てたらよかったなーって思っても時すでにお寿司。(遅し。)

22時に夜の営業が終わって帰宅するのは早くて11時。

当然子供たちは寝ていますし、レストランですから当然日曜日は休めない。

家に帰ってもシャワーに入って寝るだけという日も少なくありませんでした。

長男の誕生と家族の負担

前述のとおり転職前までは毎日当たり前のように家族で同じ時間に食卓を囲んだり、

一緒にお風呂に入ったり、川の字(正確にはⅧの字w)になって寝ていましたが

一転して家族の寝顔しか見られない日々が続きました。

転職前までは妻と2人で協力して家事や子育てをしてやっと生活がまわるという暮らしでしたが、

それを全て妻に任せるようになり、さらに6月に3番目の長男が生まれました。

少しでも子育てに携わった事のある方ならイメージできるかもしれませんがそれはそれは大変でした。

買い物に行くのもお風呂に入れるのもご飯を食べさせるのも、何をするにしても一苦労です。

一人でも機嫌が悪いと詰むわけです。

4歳、3歳、産まれたて。

想像できますか?

上の子が女の子だと手伝ってくれるからマシでしょ?なんてよく言われましたが、

今年中学生になった長女は今でもは宇宙人みたいで世界観がぶっ飛んでいて1,2を争うくらい手がかかりました。(現在進行形w)

仕事が終わって帰宅すると一日の出来事や子供達の様子を聞かせてくれるんですが

私も慣れない職場でストレスもありましたのでゆっくり聞いてあげられる余裕もなくて。

そのようにしていつしか家族がぎくしゃくし始めて、

家の中が大変なのは分かっているけど何も出来ない自分にもどかしさがあったり、後ろめたさもあったり。

妻の母が手伝いに来てくれていたとは言え出産後ダメージの残る中での育児はストレスも多く、

妻も育児ノイローゼ気味になっていきました。

次女の異変と彼女の心臓

それだけでは終わりませんでした。

次女はそれまでの環境との違いに付いていけなかったのか、

お母さんを呼ぶにしても「ご、ご、ごごかあさん」みたいにストレスで吃音障害になってしまい、

甘えたくても上手に甘えられない様子になっていきました。

実はこの子生まれながら心房中隔欠損と言って心臓に穴が開いていました。

毎日おさづけ1を取り次ぎ、やっとの思いで穴がふさがった。助かった。

そんな状態でした。

  1. おさづけは天理教の教えに基づき、親神様(おやがみさま)のご守護を願い、病気の回復や心の平安を祈るものです。詳しくはこちらから。 ↩︎

これ以上この子に負担をかけるわけにはいかない。

夢どころじゃない。

このままでは家族が壊れてしまう。

と思い仕事をやめることにしました。

悔しかったですよ。

悔しかったですけどこれ以外の方法をコム兄は知りませんでした。

夢の封印

今思えば自分の夢の為に飛び出した手前、音をあげることも出来ず知らず知らずのうちに自分もすり減っていたのだと思います。

満員電車に揺られ、仕事に追われ、家族もうまくいかない。

鬱になって自殺してしまう人の気持ちが少し分かった気がしました。

恥ずかしい話ですがこの時のことは自分にとって、とても繊細な思い出で家族にもキチンと話したことはありませんでした。

志半ばで夢破れ、まさか半年ちょっとやめる事になってしまうとは思っていなかったので

後ろめたさと恥ずかしさが体中に纏わりついて身体が重たくなったように感じ、

何もできなくて踏ん張り切れなかった自分自身の情けなさに打ちひしがれました。

そんな自分を励ますように、心に空いた穴を必死でふさぐように

いや、誤魔化すようにというのが正しいのかもしれません。

「家族との時間を優先したんだから」

「僕には無理だったんだ」

「やりたい事とやらなければいけない事は違うんだ。大人にならなきゃな」

と自分を無理やり納得させました。

これ以上自分の夢は見ないようにしよう。

コム兄が夢を追いかけることで家族に負担がかかってしまう。

と夢を封印したのでした。

まさに黒歴史です(コム兄黒歴史多すぎ問題w)

挑戦と封印編を終えて

いかがでしたでしょうか。

コム兄の夢への挑戦part1と夢を封印した過去を紹介させていただきました。

コム兄が開催したワイン会に参加してくださった方の中には

お店やらないの?

とか

お店やったらいいのに

と仰って下さる方もいました。

ありがたいし勿体ない話です。

なんやかんやと言い訳をしたり、はぐらかしたりしていたのには

今回紹介したような過去がありまして踏み出せずにいたんです。

夢に臆病になってしまっていた気持ち、何となくでもお分かりいただけたれば幸いです。

妻には

「子供が授かっていなければもう少し違っていたのかもしれないね」

とか

「私と結婚しなければ」

と、なんとも辛く悲しい言葉を吐かせてしまった事もありました。

本当に情けない旦那です。

次回は失意のコム兄が今に至るまでの経緯を紹介していきたいと思います。

本当に思うがままに、思い出すがままに書いてきましてので、このシリーズでお伝えしたかったことに近づくことが出来て安心しています(おいw)

波乱万丈なコム兄の人生ですが、次はどんな出来事が待っているのでしょうか。

乞うご期待!!

ではまたっっ!!!

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