皆さんこんにちは。
朝晩涼しくなってまいりましたが体調お変わりありませんか?
コム兄家では長女がマイコプラズマに感染し、毎日のように39℃台をたたき出しておりました。
ようやく回復して学校に通い始めましたが、全国的に流行っているみたいなので皆さんもお気をつけくださいね。
さて、今回の記事はコム兄の夢について紹介するシリーズの第2弾でございます。
夢を紹介する前にコム兄の現在地をお伝えしたい。
現在地をお伝えするには過去も必要だよね。
ってことで、需要のあるなしに関わらず強制的に過去の恥をさらしていこうと思います。
ちなみに恥さらし第1弾をまだ読んでいない方はこちらからどうぞ。
ストレスによる体の異変によって学校の先生(雑用係)をやめてしまったコム兄ですが
フランス出向の野望が打ち砕かれただけではなく、料理人としての未来も見失ってしまいました。
そんなコム兄にどんな出会いがあり、どんな生活が待ち受けているのでしょうか。
※今回の記事の内容にはコム兄が信仰する特定の宗教のお話が登場してまいりますが、
勧誘が目的ではなく、あくまでもコム兄の人生の振り返りがメインです。
宗教的なことはちょっと・・・そいう方はそっと閉じてください。
では早速行ってみましょう。
ちぇけら。
神様仏様
皆さんは窮地に陥った際、あるいは自分の力ではどうしようもない状況になったらどうしますか?
敬虔なクリスチャンならキリストに。
あるいは仏教の方なら仏様に。
中には自分で悟りを開いちゃう人もいるかもしれません。
普段はあまり宗教に興味ないと思っている方でも一度は経験あるのではないでしょうか。
困った時の神頼み。
例えばクラスの席替えの時。
「神様、一生のお願いです。気になるあの子の隣の席にしてください。」
とか、
例えば入試や資格試験の合格発表の時。
「神様、一生のお願いです。合格にしてくれたら後はどうなっても良いです。」
などなど。
一生に一度と言いながらしょうもない事に使ってしまったり、
必死過ぎて意味の分からないお願いをしてしまう人もいるんじゃないかと思います。
かく言うコム兄の実家は天理教という宗教の教会でありまして、
父親が教会長でございました。
でもコム兄自身に信仰心というのはほとんどなく、
それどころか思春期の時には自分の境遇を呪った日もありました。
そう、端的に言うと嫌いでした。(もう少しオブラートに包みなさいw)
どう考えてもマイノリティだし、
いまいち意味がわかんないし、
どんなことをしているのか友達に聞かれても専門用語が多くて上手く説明できないし。
無神経なコム兄でも子供の頃ってそういうの気にするタイプでしてね。
高校野球やラグビー、柔道などスポーツの分野ではソコソコ名前が知られているものの
言ってみれば新興宗教ですからそもそも怪しい目で見られたり。
オウム真理教に名前似てると言えば似てるし(当然ですが全く関係のない団体です)
天理教の教会で育っておきながら、天理教から離れたいとずっと思っていました。
そんなコム兄ですが自分自身の体が思うように動かず
メンタルも擦り切れて病んでいたからかもしれません。
自宅のベットで天井を見つめながら何を考えるでもなく考えている時に
ふと嫌いで仕方なかった天理教の事が頭をよぎりました。
聞く気もなかったので聞き流していたはずの母からの(宗教的な内容の)話が脳内を駆け巡りました。
もはや好きとか嫌いとか言っている場合じゃない。
助かりたい。
助けてください。
そんな、まさに藁をも掴む思いで天理教の修養科という所に行くことにしました。
修養科というのは3か月間で教理を学び、
互いに助け合って修養に励み、
教えを実践しながら人間の本当の生き方を学ぶところです。
いかにも怪しい匂いがプンプンしてますよねw
実際にコム兄は過去にも勧められたことがありましたが絶対行かねぇからなと固辞していました。
だって3か月とか意味わかんないじゃん。
人生というのは分からないもんです。
まさか自分から進んで志願する日が来るなんて。
心をさらけ出す勇気
修養科でのクラス編成は男性と女性に分かれて組分けされますが、年齢や出身などはバラバラ。
高校や大学を卒業したばかりの若者から、転職や定年退職のタイミング、農家の方でしたら閑散期だからなど。
産休のタイミングで時間が確保できたからという人もいます。
いずれにしても3か月という時間を確保するというのが一番ハードルが高いかも知れませんね。
海外から志願してくる方も少なくなくて、英語、中国語などの言語にも対応しています。
(他にも希望があれば他の言語や手話での通訳にも対応してくれます。)
教理を修めるべく自ら志願する場合もありますし、
教会長さんに進められて来たという人もいれば、
コム兄のように何かしら事情があってくる方も少なくありません。
コム兄が行ったのは11月から1月という冬の時期。
言ってしまえば中途半端な時期で一般的に考えたら時間の融通の利きやすい高齢の方が多い時期だと思います。
でもコム兄の同期は比較的若い方が多く、お陰様で楽しく過ごすことが出来ました。
授業では基本教理を学ぶ以外にクラスメイトの志望動機を聞く時間があります。
人前で話すのが苦手で、できれば他人には聞かれたくないような情けない理由で志望したコム兄。
どんなふうに話そうかと考えながら他の人の話を聞いていました。
軽いノリで来ましたという方もいた気がしますが
中にはコム兄と同じような事情で志望してきた人、
コム兄以上に壮絶な経験をして志望した人。
などなど。
それぞれが経験してきたこと、
並々ならぬ思いで修養科を志願したことを聞かせて頂くにつれて
自分自身の事をさらけ出す勇気をもらい、素直に話すことが出来ました。
年齢や経歴は本当に様々で、ここに来なければ出会う事はなかったであろう人達。
そんな人たちの話を聞くうちにプライドが服を着て歩いているようなコム兄が心を丸裸にできました。
必要以上に背伸びしなくてもいい、等身大の自分で大丈夫なんだと。
その時点でだいぶ救われたように思います。(本当に弱っていたんですねw)
心が救われるってこういう事を言うんだなぁって思いました。
みんな元気にしてるかな。
ターニングポイント
座学の授業以外にも”おつとめ”の練習であったり、
”ひのきしん”と呼ばれる神様への感謝の気持ちを行動に現した行為に汗をながします。
ひのきしんには色んな内容がありますが
コム兄は調理師免許を持っているという事で料理に携わる事になりました。
料理かぁ。
気分悪くなって迷惑かけたらどうしようかなぁ。
という不安もありましたが、自分が役に立てることがあるならと行ってみることにしました。
コム兄は和食係という部署に派遣されました。
料理を勉強してきたとはいえ専門外なので分からない用語とかもありましたが
他の派遣された修養科生の中には包丁を持ったこともないという方もいらっしゃって。
それまで戦場のような雰囲気で料理をしてきたコム兄にとっては
ゆるい雰囲気というか、特に急かされるわけでもなく和気あいあいと料理に携われる環境は
程よいリハビリになりとても楽しく務めることが出来ました。
やっぱり料理って面白いな。
楽しいな。
と思い直すことが出来ました。
志願したばかりの時にはとにかく自分が助かりたい、助けてください。
というような心境でした。
時にしょうもない事で笑い、時に一緒に悩み、
ゆったりと流れる時間の中で悩みを共有し支え合う環境の中で、
気が付けば自分の助かりよりも人の助かりを願うようになっていたように思います。
心に積もった埃が少しずつ払われるように、
くしゃくしゃになって委縮した心のしわが伸ばされていくような感覚。
気が付けば人眼が怖かったのも徐々に安らぎ、料理をすることへの恐怖心も取り除かれ、
少しずつコム兄らしさを取り戻していったように思います。
死ぬほど嫌だった修養科。
でもここに来ていなかったら料理はおろか生きていたかすら分からないなとも思ったりします。
まさに人生のターニングポイント。
嫌で嫌で仕方なかった天理教ですが、人にも恵まれ、環境にも恵まれたことで抵抗感も薄らいでいきました。
※コム兄の個人的な感想で勧誘ではありませんからね。
※合う合わないも勿論あると思います。
思わぬ来客
修了迫る頃、詰所と呼ばれるコム兄が宿泊している施設に来客がありました。
聞くと身内ではなさそうだし、コム兄なんかに来客なんて心当たりが無さ過ぎましてね。
なんか要らん事したかなーってグルグルと頭の中を駆け巡りました。
恐る恐る顔を出すと、そこにはひのきしんに行っていた先の和食係りの料理長さんがいました。
全然意味が分かりません。
コム兄が処理した食材が原因で食中毒でも出しちゃったかな・・・
とよくない事ばかりが頭をよぎります。
落ち着いて話を聞いてみると、
一緒に働きませんか?
という内容でした。ビックリです。
ハッキリ言って料理人としてのスキルアップは見込めません。
宗教団体の職員になるという事でお給料もかなり少ない。
しかも初めの2年間は月に2万円での生活が待っているとの事。
しかも専門分野の西洋料理ではなく和食。
普通に考えたら嫌に決まっています。
ていうかメリットが少なすぎるわけです。
ていうか普通に考えたら理解不能なわけです。
でもここに来たお陰で前向きに生きる事を取り戻すことができたので
シンプルに恩返しがしたいなと思いました。(洗脳かw?)
料理人としてのスキルアップが見込めないとはいえ、料理人の道を諦めていた事かから考えれば
得意なことで人に喜んでもらえるなら素晴らしいじゃないか。(やっぱり洗脳されてるw)
しかもスカウトされちゃったんだけど!!
と当時20歳のコム兄は思いました。(ちょろいw)
「家族の方や教会長さんとも相談して、それから返事を聞かせてください」
この言葉と菓子折りを残し、料理長さんは帰っていったのでした。
父との問答
その後すぐだったかのか、日を改めてだったのか定かではありませんが
教会長である父に事の由を説明し、相談してみました。
子供の進路についてはあーしろ、こうしろと言うタイプではなかったので
「良かったやん」とか「好きにしたらええやん」
って言われるかなって思っていました。
信仰している宗教の本部で働くっていうわけですから。
ところがどっこい、意外や意外。
「そんなところで働かせるために専門学校に通わせたわけじゃない。
働いて長男が教会長になった時に経済的に支えて欲しいと思って行かせたんだ。
月に2万円なんて冗談じゃない」
ごもっともofごもっとも。
コム兄が父親の立場だったら同じことを言ったんじゃないかと思います。
兄弟の中でも群を抜いて親に迷惑をかけてきた自覚があるコム兄。
高校も中退してるし、実家の経済力では厳しい専門学校に無理を言って通わせてもらって。
ほんで急に仕事辞めてくるし。
ほんと心配ばかりかけてきたなと思うわけです。
でも恩返しがしたくて勇み立っているコム兄も引きませんでした。(おい)
最終的には父が承諾してくれたのか、無理やり押し通したのか覚えていませんが
天理教教会本部 和食係でお世話になる事に決め、
料理人として(?)の再出発をしたのでした。
今になって考えればもう少し冷静に考えていればよかったんじゃないかとも思いますw
こうして3か月間の修養科生活が終わったのでした。
本当にあっという間でした。
料理人再出発編を終えて
最後までお読みいただきありがとうございます。
聞き馴染みのない単語なんかも出てきたりして読みにくかったんじゃないかと思います。
いないとは思いますが、興味あるって方は修養科に関するページ貼り付けておきますので覗いてみて下さい。
もちろんコム兄に直接聞いてくださっても大丈夫です。
宗教色が強すぎるのでこの頃の事をブログで書く気は無かったんですが、
いかんせんコム兄の人生の中のターニングポイントですので外すことはできませんでした。
改めて向き合ういい機会になったなと思いますし、
コム兄のバックボーンを知っていただくいい機会になったんじゃないかとも思います。
(どうか、どうか嫌いにならないでね・・・)
実に20年近く前の事ですので記憶が薄れている部分も多いですが、
こんな感じだったと思います(おい)
驚くと思いますが和食係から洋食係に異動したとはいえ、コム兄は今もその厨房に在籍しています。(令和6年現在)
出たり、戻ったりと紆余曲折はありますが、そのあたりはまた次回以降に譲ろうと思います。
20歳そこそこで大きな挫折を味わったコム兄でしたが、こんな経緯で今も料理人を続けています。
次回の記事ではその後のコム兄について紹介していきたいと思います。
どんな生活が待っているのでしょうか。
楽しみにしていてくださいね。
ではまたっっ!!
↓↓↓続きが書きあがりました↓↓↓
💡是非読んでみて下さい💡
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